ふたご座満月の日のゆめ記録
ゆめ日記。
ゆめのなかで、わたしは妊娠して(相手も実在するひと)
そして、そのひととの結婚はあり得なくて
産むのなら、ひとりで育てなければならない、という状況。
産んでよいのだろうか、
頼りにできる両親だって もういい年齢だ…わたしにはたいした資格などもないのにどうしよう、とかかなりいまのままの環境。
さらにさらに、エコー的なもので(これは現実的にはないのだろうけど)
妊娠発覚直後なのに、お顔の様子まではっきり見えて
産まないわけにはいかない
みたいな、まぁ、リアルな葛藤を抱えたゆめでした。
目覚めた瞬間に、「あぁ、ゆめか…よかった…」と。
そして、いつもなら、そそくさと夢判断などで調べものをするけれど
今日のは、リアルすぎて診断もなにもない、
別次元のわたしの体験を垣間見た、という感覚だったから
「妊娠の夢は〜」などと調べる発想すら、わかなかった。
これ、たぶん満月の影響があると思う。
…で、目覚めたら、毎月の月のものもきていました。
子宮には何かしらの記憶が眠っている気がする。
せ、ま、い!
体調がととのわないと、深く瞑想するのも難しいのだろう。
そもそも、じっと座る、ことさえ億劫だったり。
そんなこんなで、数日空いた。
いまだ快調とは言えないんだけれど、思い出したことがある。
わたしはいま、実家暮らしだ。
田舎の和風建築の家だから、3ヶ月前までのちょっと都会で1R暮らしをしていたことを思えば
充分すぎる広さである。
それが、あるときの瞑想で
「ここでは狭い」という感覚がくる。
瞑想していた部屋ではなく、「いえがせまい」。
わたしだけの家ではない、ことを考えても充分な広さなのに。
たぶん程なく、広い家に引っ越すことになるのだろう。
以前、ある朝、起きた瞬間に
「この家を引っ越さなければ!」と思ったことがある。
そのときは、「どこへ?」だったのだけど(ひとまず不動産屋さんに物件は見に行った)、結果、2ヶ月後にわたしはその家を出た。
そういった感覚に固執することもなく、ふんわりとこころに抱いておけば、
そうなることもあるし、ないことも、ある。
おもしろい。
中学生のころのはなし
中学1年生のときだったと思う。
日々、数行の日記を書いて提出しなければいけなかった。
変わりばえのしない毎日だったわたしは、
ある日から、クラスの女子の「このひと、こんなひと」を日記に書くようになった。
1年の終わりに、クラスで文集を作ることになり、担任の先生から
その「このひと、こんなひと」も載せたい、との打診があった。
すごく嬉しい!とも思わなかったけれど、
いやだとも思わずに
それは文集の一部となった。
クラスのわたし以外の女の子たちへのメッセージ。
あの頃の目で、あの頃のわたしを見たら
どんな言葉をおさめていたのだろう。
読んでみたい。